沼津市 多比 石丁場隧道群2



久しぶりの自然の光、ほっとします。 しかしまだ出口では無い模様。 というか今出てきた通路と正面以外に、右側に複数の入口があります・・・。


上を見ると・・・ああ、15メートル程の切り立った岸壁の上に空が見える。 これ、逆に山を歩いてたら突然深さ15メートルの大穴が開いてるってことだよなぁ・・・。 怖いよ。


後日、冬に撮影


この隧道の西側入口から更に登った場所に、有刺鉄線で囲われた領域を発見。


覗き込んでみると・・・ここが先ほどの"大穴"の上のようです。 これなら誤って落ちる事は無いでしょう。




壁に鉄製のプレートが打ち込まれていましたが、 いくら目を凝らしても、完全に錆び付いていて全く読み取れず。 この場所が何かを示す、唯一の手がかりだったのに残念。


岩壁をよく見ると「山」の文字? 近くには山田氏が作った 山田隧道(旧口野隧道)があるため、 その下に「田」の文字を探しましたが、無い・・・よね。無関係か。



正面(西側)に向かう前に、ちょっと右(北側)の通路を覗いてみる。 ここにも新しめの青いプラスチックケース、 そしてその奥は・・・何やら更に色々分岐している模様。

目印となる明かりエリアが近くにあるため、幾分かは構造を把握しやすいです。 もしこの明かりエリアが無く、特徴の無い洞内のみだったら、かなり迷ったと思います。


ケーブル管が好き放題に伸びています。もう少しどうにかならなかったのか。


天井からぶら下がる電灯?そして正面に1匹のコウモリが飛んでいますが、 撮影時には全く気付かなかった・・・。


電気ばかりか水道まで。 しかし蛇口を捻っても水滴一つ出ませんでした。 ここまでわざわざ水道管を引いてきて、何に使ったのでしょう。


巨大な金属ケースと朽ちた自転車。もうゴミだらけ。


なんとブレーカーまでありました。もう電気は通じていないでしょうけど。


西側入口のすぐ横、洞内にプレハブ小屋。もう何でもありか! 内部にポンプのようなものが見えますが、何に使ったのでしょう? 洞内には水が溜まったエリアなどは無かったようですが。 そしてプレハブ小屋の周りも物置代わりにされているようです。


そしてついに、西側入口です。お疲れ様でしたー。

って、こちら側はフェンスに鍵が掛かっていて、出られない!

上下に這い出る隙間も無い模様。これは・・・ 今までの道のりを戻る必要があるようです。 (ちなみにフェンスの外側、一般道に人がいたため、接近して写真を撮れませんでした。 見つかったら何か面倒そうですし)


後日、冬に撮影
ちなみにこれが、後に撮影した西側入口です。 入り口の高さは1.5メートルくらい?少し屈まないと頭がぶつかる高さです。


ここに鍵が掛かっている事を知っている地元の人が、この中でウロウロしてる不審者を見たら まず通報するね。うん。


上には余った伊豆石を詰んだ石垣が築かれています。




というわけで、来た道を引き返して東側入口より脱出しました。


と書くと一言ですが、この帰り道で本気で迷子になりました・・・。

正解の帰路は、段差の上の小さなステージ状になっている部分の右脇にある小さな通路だったのですが、 往路でこのような段差を降りた記憶が無かったため、周囲をうろうろ→明かりエリアに戻る を 5回以上繰り返した後に、伝家の宝刀「右手法」を発動したところやっと正解の通路を発見。 かなり焦った・・・。



今回の探索時間:入洞より24分


今回の探索は「石丁場の跡を流用した通路がありました。(まる)」 ということでお仕舞い、としていました。 しかし後日、沼津市の明治史料館にて別件を調査していたところ、 偶然にもこの隧道と山田隧道の関連を発見しました。 その史料の内容について、次で説明します。

沼津市 多比 石丁場隧道群3 へ続く。



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