![]() | 久しぶりの自然の光、ほっとします。 しかしまだ出口では無い模様。 というか今出てきた通路と正面以外に、右側に複数の入口があります・・・。 |
![]() | 上を見ると・・・ああ、15メートル程の切り立った岸壁の上に空が見える。 これ、逆に山を歩いてたら突然深さ15メートルの大穴が開いてるってことだよなぁ・・・。 怖いよ。 |
|
![]() | 壁に鉄製のプレートが打ち込まれていましたが、 いくら目を凝らしても、完全に錆び付いていて全く読み取れず。 この場所が何かを示す、唯一の手がかりだったのに残念。 |
![]() |
岩壁をよく見ると「山」の文字?
近くには山田氏が作った
山田隧道(旧口野隧道)があるため、
その下に「田」の文字を探しましたが、無い・・・よね。無関係か。
![]() |
![]() |
正面(西側)に向かう前に、ちょっと右(北側)の通路を覗いてみる。
ここにも新しめの青いプラスチックケース、
そしてその奥は・・・何やら更に色々分岐している模様。
目印となる明かりエリアが近くにあるため、幾分かは構造を把握しやすいです。 もしこの明かりエリアが無く、特徴の無い洞内のみだったら、かなり迷ったと思います。 |
![]() | ケーブル管が好き放題に伸びています。もう少しどうにかならなかったのか。 |
![]() | 天井からぶら下がる電灯?そして正面に1匹のコウモリが飛んでいますが、 撮影時には全く気付かなかった・・・。 |
![]() | 電気ばかりか水道まで。 しかし蛇口を捻っても水滴一つ出ませんでした。 ここまでわざわざ水道管を引いてきて、何に使ったのでしょう。 |
![]() | 巨大な金属ケースと朽ちた自転車。もうゴミだらけ。 |
![]() | なんとブレーカーまでありました。もう電気は通じていないでしょうけど。 |
![]() | 西側入口のすぐ横、洞内にプレハブ小屋。もう何でもありか! 内部にポンプのようなものが見えますが、何に使ったのでしょう? 洞内には水が溜まったエリアなどは無かったようですが。 そしてプレハブ小屋の周りも物置代わりにされているようです。 |
![]() |
そしてついに、西側入口です。お疲れ様でしたー。
って、こちら側はフェンスに鍵が掛かっていて、出られない! 上下に這い出る隙間も無い模様。これは・・・ 今までの道のりを戻る必要があるようです。 (ちなみにフェンスの外側、一般道に人がいたため、接近して写真を撮れませんでした。 見つかったら何か面倒そうですし) |
|
![]() |
というわけで、来た道を引き返して東側入口より脱出しました。
と書くと一言ですが、この帰り道で本気で迷子になりました・・・。 正解の帰路は、段差の上の小さなステージ状になっている部分の右脇にある小さな通路だったのですが、 往路でこのような段差を降りた記憶が無かったため、周囲をうろうろ→明かりエリアに戻る を 5回以上繰り返した後に、伝家の宝刀「右手法」を発動したところやっと正解の通路を発見。 かなり焦った・・・。 |
今回の探索は「石丁場の跡を流用した通路がありました。(まる)」 ということでお仕舞い、としていました。 しかし後日、沼津市の明治史料館にて別件を調査していたところ、 偶然にもこの隧道と山田隧道の関連を発見しました。 その史料の内容について、次で説明します。 |